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ミスターウエディング柴田進について

4歳のある日、

 

我が家にHi-Fi Stereoと称する箱がやってきました。
初めて親が買い求めたレコードは忘れもしない、フランクチャクスフィールドオーケストラの「セレナーデ集」。 
スピーカーから流れ聞こえてきた音は、何とも美しい弦の音色の音楽ばかり。メロディーは当然のごとく甘美。幼な心にそう感じたと記憶しています。音楽との出会いを実感した1枚のレコード。

6歳、慶応幼稚舎に通っていた頃

 

ほとんど私の意志とは別にピアノのレッスンに通うことと相成りまして、週一度、先生の所に通うために日々自宅でのレッスンは日課。

結果20歳まで一人の先生に師事をいたしました。
 

小学校高学年の頃、ビートルズのピアノ譜を自ら買い求め、ピアノで演奏してみました。自分の好きな曲を自分自ら演奏できた喜び、これは我ながら大きな感動でありました。自ら演奏できたその喜びは得も言われぬ快感でした。20歳まで続けられた継続力の源となったのだと思います。ラジオもよく聴いていましたが、1967年から放送開始になったFMの「ジエットストリーム」。午前0時から始まるこの番組の耳心地の良い音楽と共に城達也さんの素晴らしいナレーション。城さんの声と心地の良いテンポ、間、がこれほどにも人の心を豊かにできるものかと圧巻された番組です。音楽と語り、いつかはそんな世界に身を置きたいと思い始めた頃でしょうか。高校時代は選択授業で演劇を。役者の経験、音響の経験、ご多分にもれずオーディオマニアの道へと足を踏み入れます。
部活はラグビーで汗を流しました。練習後には未熟な腕にもかかわらずレストランにピアノ演奏のアルバイトに通いました。稼いだお金を持って秋葉原に行きオーディオに注ぎ込む数年間でした。今現在も心の一番の糧は音楽であることに間違いはないと思っております。
大学では幼児教育を専攻、音楽好きも相まって4年の時にハンガリーまで出かけました。コダーイメソードによる子供のための音楽教育の実践を視察できたことは、大いに勉強になりました。大学卒業後、演劇の世界に進み、そこで運命の出会い? 現在の妻と結婚することになりました。柴田進25歳。実は私は30歳までは結婚はしないでいよう等と漠然と考えておりました。ところが不思議なもので、この人と一緒にいたいとこれも漠然とですがそう思ったのですね。結婚を機に私は保育園で保父になり結婚2年目に長男誕生。
この頃、ご縁を頂戴いたしまして、NHK-TVの子供向け番組に3年間出演させていただくという貴重な経験をいたしました。

保育園での子供たちを見ていて、兄弟が多いのはいいなあと思い、結果我が家も3人兄弟となりました。男子3名は若干予想外でしたが3人目誕生直前に長野県に移り住みまして、八ヶ岳の近くで男子3名すくすくと育ちました。
長男高校進学を機に東京へ戻りました。長野に移り住んだ時を機に飲食業のサービスに就いて「いらっしゃいませ、ありがとうございました。」の日々を20余年。後半の10余年はブライダルの仕事に就いて、会場のお下見から披露宴当日までお手伝い、多くの司会も担当させていただきました。人生において本当に素晴らしい日ということを、あらためて体感させていただけた貴重な日々でした。自分自身の32年の結婚生活、3人の息子に恵まれた家庭生活を振り返り、勿論山あり谷あり、登り坂下り坂マ坂はありました。しかし共に人生を歩み共に分かち合える良き伴侶、家族がいることは、本当に素晴らしいことだと思っております。ご縁がありお目にかかることのできた新郎新婦には「いやぁ、結婚生活とは、なかなかいいものですよ!」と何度お伝えしたことでしょう。

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